趣味人NITARIは誰の味方でもありません。
どうも、趣味人NITARIです。
今仕事の人間関係で悩んでることがあって、そのことをここに書こうかなあと思い、っていうか一本記事を全部書いたんだけど、全部消した。
無駄だった。
愚痴ってすごく時間の無駄だし、読んでても書いてても全然おもろなかった。
という事で、まあ全然関係ないっていうわけでもないけど、「私は誰の味方でもない」っていう話をします。
私の好きな社会学者である古市憲寿さんがTwitterにも「誰の味方でもありません」って書いてますけど、私はかなりこの言葉が好きです。
そして「誰の味方でもない」とか言いながら結構いろんな人がいろんな人の味方をしている中で、古市さんは結構マジで誰の味方でもない感半端ない。そこがいい。
まあそのせいでかなり炎上したりしますけど。
いろんな社会学者やジャーナリストや作家など、リベラルな人のフォローをしたり本を読んだりしますけど、思想が似ているからだと思うけど皆同じようなことを言っていて、まあ私もかなり感化されることが多いんだけど、古市さんの場合は結構主義がふらふらしているというか結構柔軟に変わる。
そんなところが素晴らしいな、と思っております。
私もできれば、だれの味方でもないとして生きていきたいけど、実社会でそれをやっちゃうとただの意識高い系とか、ただのコミュ障とかになってしまうよね。
だから実社会ではいろいろと我慢して、うまくやっていかなきゃならないんだよ。
……というようなことを、先ほど消したブログにはつらつら書いて、ウジウジしていたんですけど、ほんと時間の無駄だった。
実生活ではうまくやらなきゃいけないから古市さんと違うとか、リベラルな立場をキープするのが難しいとかっていう事は単なる言い訳で、人のせいにするなという話。
もちろん、だからといって自分が社会性を捨てて正しい事だけを続けていくかといったら、それは違う。
社会性は絶対に必要で、そのために主義をまげて見せることも必要かもしれないけど、それは別に何も周りのせいとか社会のせいではなくて、単にそうしないとお金が稼げないしただただ自分の金のためだよねっていう。
それを、「社会でうまくやっていくには、人と意見を合わせなきゃいけないのが辛い……」とか言い始めた自分が、はっきり言ってバカみたいだ。
そんなグチグチ言ってるくらいだったらとっとと仕事辞めてしまえと自分に言いたい。
しかし現状、そんなことをしたら死ぬ。
死にたくなきゃ稼ぐのだ。
自分の主義主張が通らないのを社会のせいにするくらいくだらないし、時間の無駄なことはないな、と今日は思った。
ではまた。